稽古の時、いかにも作品と関係ない話をしていても、それが作品にとても影響を及ぼすことがある。結構ある。かなり、ある。居酒屋とかで話していることと決定的に違う、ハナシの質がある。高いとか低いとかじゃなく、決定的な差があるのだ。勿論、何処にも何にも影響しないハナシも出てくるのだが。そして何よりも、そういうイッケン無駄な世間話を移動する羊はよくするということだ。いや、主に僕がするということだけれど。果たして如何なものか?と思うトコロもあるが。そもそも移動する羊の稽古場は、稽古中にすべての意見や感想を出しきるような稽古をしてきた。感覚を開き、感じ、考え、イッケン関係ないようなことでも発言デキル環境を作ってきた。さらにシツコイくらいに掘り下げる。かなりウザイ。そしてその発言は実は、何処かに繋がっていることのほうが多い。なので、まあ、稽古場発足当時は、あらゆるメソッドを引き受けながら、あらゆる個人的な意見を皆、発言していた。特にオリジナル初期メンバーの加田斎、金野潤、愛川武博だけの稽古だと顕著であった。日々、激論の稽古。その当時はイッケンの無駄話すらしなかった(意味のある無駄話をしていた。そういうのがあるのならば、だが。当時はあったと思う)からそりゃーまあ、稽古にガップリヨツだった。楽しかった。だからだろうか?何故だか稽古場で話す意味のない世間話の内容が、作品に意味を与えることが多い。つまり作品に向かっているから、自ずと第六感でハナシを選択しているのだ。もっとも僕は様々な稽古場を経験しているので、様々な現場が存在しているのを知っている。ハナシなんかまるっきりしない稽古場もあれば、ハナシしかしない稽古場もある。でも基本、作品に対するハナシをするものだ。ただこんなにも無駄話をして、それが作品に繋がっている稽古場は見たことがない。もっとも作品にカップリヨツの僕だけしか感じていないことなのかもしれないが。なんせ脚本を書き演出をしているのだから、すべてが無駄にならないことを知っているのは僕自身なのだろう。だから稽古場で無駄話をいっぱいしたい。だから、1日稽古して半分は無駄話が出来たらどんなに良いだろうと思っているが、なかなかそうもいかない。なんせ時間がない。だからちょっとだけ。やっぱり話すんかいっ!そういえば、僕は夜中に活動することが多いので、そもそも飲みに行くということ自体が少ない。なので最近、人と飲んでいない。すっかり居酒屋でのハナシ方を忘れている。作品作りや観劇を繰り返しているだけだ。でも状況は刻一刻と変化をし、そのすべての変化はとても楽しい。無駄話は楽しい。ありふれたリアルは楽しい。そこにセンチメンタル耽美がヒソンデイル。とはいえ無駄話のさらに深い無駄に近づいて、そこから重要な何かを引き出そうとする愛川は、はっきり言ってウザイです。ここ半年、そう思います。何事も程々が一番。ぶはー。しかしその無駄話の深淵にいるリアルな心を知りたく、それが有効になるかもしれないと経験則が働いている僕は、さらに無駄話の先にあるリアルを求めてしまう。時がある。いつもではないよ。『それでも僕らは荒野を歩く』はほとんど無駄話をしなかったのだ。ほとんど作品の話。楽しかった。うむ。なんだ僕は基本はそんなに無駄話好きじゃないんじゃーねーのー?と本気で思ったが、でも無駄話をウリにしている僕は(どんなウリだ!?)やはり無駄話をしてしまうのであった。要、考察だ。な。でもそんなウザサにウンザリしているはずなのに、塩見はその後稽古が始まって、演技が始まると、芝居を更なる高みへともっていくことをする。明らかに劇的な変化をすることがある。おー!僕の無駄話が無駄にならなかった瞬間である。スゲーなーと思うのじゃった。これは何がスゴイって塩見が凄いのである。なんだかんだとココロを使って身体に、無意識に、意味を刻んでいるのである。いや聞いていてハナシがあるラインを越えると、かなりメンドクサソウにしているのですが。うふふ。可愛い。そうして破壊と創造を繰り返す。こやつ、やるなー。疲れるだろうに。素晴らしい。いや、これが女優ということなのか?というわけで今日も、稽古や無駄話に、心も身体も頭も使ってヘトヘトになったのであった。
ちなみにヘトヘトになって帰る途中で、電車に乗る階段を上っている時に、なんの前触れもなく、圧倒的恐怖に襲われた。そういえば前に、ある女優さんに言われたなー。移動する羊の人は皆、ナイーブですねー、と。ああ。強くなりたいっ。うふ。
本番まであと5日。
こんなこんなで、今日も僕らは終わらない。