人生は、たまに予期せぬ素敵なことが訪れる。偶然なのか必然なのか、僕は久しぶりに懐かしい知り合いに会った。いや正確には見た、と言ったほうが正しい。二十歳前半の思い出の人。その日僕は、芝居を観に行く前に、渋谷の街を歩いていた。最近は観劇のために色々な街に行く。だから、行ったことのない街は、ちょっとブラブラしたりする。でも渋谷は懐かしい街だった。散策する必要がないくらい詳しかった。僕の東京といえば渋谷と言ってもいいくらい、渋谷の思い出がいっぱいある。二十歳過ぎくらいまでの、懐かしい僕の東京。その懐かしさもあり、芝居は三軒茶屋だったけれど、指定席で取ってあり、ギリギリでも大丈夫だったから、田園都市線に乗る前に、僕は少し渋谷の街を歩いていた。不思議なもので、忘れていた感覚を渋谷はくるたびに思い出させてくれる。夢に溢れて、無邪気で、根拠のない自信に満ちていたあの頃の感覚がよみがえってくる。そうだ、僕は、そんな、人間だった、のだ。僕はたくさんの友人を持ち、自由に、無邪気に、自信だけで生きていた。その感覚が時間をグルグルと遡らせてゆく。血が逆流する。街がチリチリと変形していく。ああ、この風景は、僕がやって来た道の風景だ。僕は懐かしさのあまり、その風景に誰かを探す。探したっているワケもないのに。僕の中の時間が巻き戻っても、そこには誰もいることはない。みんな遠くに過ぎ去ってしまったのだから。いるわけがないのだ。でも僕は探した。過ぎ去ってしまった街の風景に、“誰か”を探していた。そしてその過去からやってきた無人の街に、突然現れた。僕の知っている“誰か”は突然現れた。それは坂をのぼった所。パルコの前。彼女は水色と青と白とオレンジのチェックのワンピースを着て佇んでいる。ダレダ?僕は知っている。彼女を知っている。記憶のページをめくるスピードが加速する。僕の記憶を探るのと呼応するように、街は現代に戻ってゆく。そしてすっかり街が現代の渋谷に戻った時に僕は気付いた。そうだ。彼女は僕が、様々な劇団に出て芝居をしていた時に、ずっと見続けてくれた女性だった。彼女は昔の姿そのままで、いま、渋谷に佇んでいる。僕の心臓が膨らんだ。どうやら誰かを待っているみたいだ。彼女のことは、名前だけは知っている。でもあとはどういう女性だかはよく知らない。はじめのうちは、よく芝居を観る女の子なんだなと思っていた。でも毎回必ずアンケートを書いて僕に直接渡してくれる。そして一言「楽しかったです。また来ます」と微笑みながら言う。それだけだ。それが5回くらい続いて初めて自覚した。ああ、そうか、彼女は、僕を、観にきているんだ、と。アンケートにはいつも名前と一言、感想とも言えない様々な言葉が書かれていた。いつも意味は分からなかった。『流れだした血がとまることもあるんだね』『ゆるやかに再生してゆく』『真冬の雪のように暖かい』『きっと私の感動は何処にも届かない』『極夜に光がさすことがあるかもしれない』でもそんな意味の分からない一言は、どんな感想よりも僕の心を打った。しかし彼女はある公演をさかいに、僕の芝居を観にくることはなくなった。その最後の日、彼女はいつも通り僕にアンケートを渡して、こう言った。「もう観に来れないと思います。でも私はあなたが舞台を走り回っている姿を忘れません。ありがとうございました」彼女の左手の手首に包帯が巻かれているのがとても強烈に頭に残っている。そうして彼女は僕の前からいなくなった。僕は忘れていた。僕は本当に今の今まで忘れていたのだ。彼女に渋谷の街で出逢うまで。よかった生きていたんだ。僕はそう思った。何故だかそう思った。彼女は昔のまま変わらず、透きとおるような美しさを持って佇んでいた。全然変わらない。いや服の趣味は変わっただろうか。髪も少し長い。あとは?僕は少し近づいてみる。彼女の左手に視線がいく。そこには勿論、包帯はなく、そのかわりに薬指に指輪が光っているのが見えた。僕は涙が出た。ポロポロと涙が落ちる。そのまま、そうしてしばらく彼女を見つめていた。そして僕はハッとして、携帯を見て時間を確認した。もう行く時間だ。僕はもう一度彼女を見て、軽く深呼吸をして、振り返らず駅に行き、田園都市線に乗って劇場に向かった。彼女は誰かを待っている。僕は渋谷をあとにする。きっともう会うことはないだろう。でも僕は心の中で「また、何処かで」と呟いた。そして駅に着いた頃に雨が降りだした。僕は空を見上げた。なんだかとても大きな声を出したくなった。世界に響くほど、大きな声を。『それでも僕らは荒野を歩く』の公演以来、様々なものが僕にやってくる。届いてくる。それは恋だったり、絶望だったり、発見だったり、遠い国からの言葉だったり、恋愛だったり、幸せだったり。まるで入り江になった気分だ。漂流物が浜辺にやってくる。奄美にいた頃によく浜辺に流れてくる様々な漂流物の中から、自分だけの宝物を見つけたものだった。それは世界から必要とされないものだったかもしれないけれど、でも僕には大切なものだ。僕の歩みはあるいは何処かに届くかもしれない、と、ほんの少しだけ思えた木曜日だった。愛川です。
次回の稽古は6月16日水曜日の13時ー17時です。
場所は要町和室です。(いつも池袋周辺で稽古)
稽古は毎週、集まる人に合わせて脚本を書いています。
基礎トレと移動する羊オリジナルメソッド(かなり心と身体を使う)とテキストで作品作り。
興味のある方は是非、愛川のアドレスに「稽古場参加希望」とタイトルに書いてメールください。
アドレス。
loveriver@di.pdx.ne.jp