稽古場情報  そこにあるリアル

最近ネットサーフィン(と、イマドキ言うのだろうか?)をする時間が長くなった。長くなったというか、今までやらなかったのをやるようになった、と言ったほうが良いのか。気が付いたら2時間3時間はあっという間にたっているのだ。ほんの30分くらいのつもりが、ふと時計を見てみると2、3時間があっという間にたっているから不思議である。さらにネットで買い物もするようになった。チョー楽で良いね。そしてあれやこれやを見てまわるのがなにより楽しい。んで色々な記事を読む。ブログも読む。ユーチューブも観る。でもまだ書き込みとかはしていないけど。パソコン生活6年目にしてやっとネットライフを楽しんでいる。とは言ってもまだほんの入り口にしかすぎないのだろう。ふと、画面の向こう側に広がっている膨大な情報の海を想像して、たまにクラクラと目眩がすることがある。僕は大海にやっとこさ漕ぎ出した、小さなボートにしかすぎないのだ。そして脳のある部分が刺激される。いつも頭の片隅で「すべてを知りたい」という探求心がくすぶっている。とはいえ今更すべてを知ろうとは思わないが。昔はより強くその想いが溢れていた。世界のすべてを知り尽くしたいと。ネットの中にいるとそんな想いが頭をもたげる。そこに「すべて」などあるワケないのに。そこに居ればすべてが分かるかもしれない、という幻想でしかないのに。でも日常に隠されていた風景が現れてくる。見えていなかった一面が見えてくる。それは世界を写す鏡だ。時に正しく、時に歪んで現れてくる。「世界のおぞましさと美しさがたち現れる。まるで『青さ』(例えればそれは、日常)」という点において、空と呼応する海の水面のように、二つが共鳴しながら現実世界から写しだされて存在している」僕はネットの海に潜りながらそんなことを考える。そこには美しい珊瑚礁もいればおぞましき深海魚もいる。僕はそれらに一喜一憂しながら海をわたるのだ。しかもある程度の距離を保ちながら。ああ楽しい。しかしこれは一種の逃避なのか?あれほど日常を謳歌していた自分自身はもういないのか?いや、いる。何故ならやはり日常こそがすべての出発点だからだ。昔、友人とネット世界のリアルについて激論をかわしたのを思い出す。まだ今ほどネットが普及していない時だった。僕はネット世界のリアルに疑問を抱いていた。彼はそこにリアルはあるのだと言った。僕は恐怖を感じていた。彼は喜びを感じていた。二人は違う場所から同じモノを見ていた。だから二つは同じように存在していた。まるで空と海のように。まるでおぞましさと美しさのように。そう。そうなのだ。あらゆる世界は、その背景にあるあらゆる風景を想像することで、なんだか楽しくなってゆくみたいだ。どの世界にもリアルはある。そしてどの世界にも虚構はある。僕は生きるリアルを探している。そして虚構を愛している。愛川です。

本当ならば次は24日にやる予定だったのですが、稽古場が取れず中止になってしまいました。

次回の稽古は1月30日の土曜日の午前中、13時ー17時です。

場所は要町になります。。(いつも池袋周辺で稽古)

稽古は毎週、集まる人に合わせて脚本を書いています。
基礎トレと移動する羊オリジナルメソッド(かなり心と身体を使う)とテキストで作品作り。

興味のある方は是非、愛川のアドレスに「稽古場参加希望」とタイトルに書いてメールください。
アドレス。
loveriver@di.pdx.ne.jp

by moving_sheep | 2010-01-23 11:38 | 稽古場レポート | Trackback
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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び


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