稽古場情報  そこから見える風景

目が覚めたらメガネがグニャグニャに曲がっていた。テレビを観ている間に、いつの間にか眠ってしまい、さらにネゾウが悪かったのか、何故だか布団を抱えてマットの上の方まで移動していた。つまり、メガネを枕元に置く習慣があるのだが、頭の上のマットの外に身体ごと移動して、そのままメガネの上に乗っかってしまったみたいだ。うむう。またやってしまった。そう「また」やってしまった、のだ。僕はしょっちゅうメガネを踏む。酷い時は目が覚めて朦朧として「メガネ、メガネ」と呟きながら探している時(何故だろう?必ず口に出して探すのだ。コントみたい)に、とても気を付けているはずなのに、思いもよらぬ所にメガネがいて、それを踏んづけてやっと気付いたりしたりする。あー何度メガネを買い替えたことかっ。最近はその周期がかなり短くなってきた。どんどん壊す。さてどうしよう。まあ、とりあえずは曲がったメガネを無理矢理元に戻し、なんとか使っているのだが、ちょっと下を向くだけですぐにズレて落ちてしまう。しかし今週は買いに行く時間がない。しばらくは騙し騙し使っていこう。と思いつつもストレスで、メガネをいっそ外してしまえっ!と裸眼であれやこれやをするのだが、そうすると、なんだか解放された気分になるのだ。メガネの煩わしさからの解放なのだが、実は同時にすべてを見なくても良いのだという解放でもあることに気が付いた。つまりは見ることによって、見えることによって、視覚情報によって無意識に縛られていたコトからの解放だったのだ。ああ、そうだ、僕は、昔、裸眼で、生活を、していたのだ。メガネを外した時の今と同じ視力で、たくさんのモノを見ないで生きていたのだ。それはまさに幻想と共に生きている日々だった。美しいものが溢れていた。それはそれで素敵な日々だったのだ。それから僕はある時、あるキッカケで、すべてを見て、直視し、受け止め、向き合っていこうと心に決めて、裸眼で見ることを止めるのだが。そうあの時から、見えることが僕にとっては日常になった。そして僕は世界のおぞましさを知ることになる。今、僕はまた幻想に生きる瞬間がある。それは世界の美しさと儚さに身をまかせることだった。忘れていたあの景色。その景色が身体に染み込んでくる。そして心をふるわせる。メガネが壊れてその先に見えたのは懐かしい風景。見えないから知ることの出来た世界のもうひとつのリアル。それはある種のギフト。そう、今、感じている。僕は感じている。ああ、世界はなんて曖昧で儚く美しいのだろう。愛川です。

今週の稽古は12月5日の土曜日の13時ー17時です。

場所は要町になります。(いつも池袋周辺で稽古)

稽古は毎週、集まる人に合わせて脚本を書いています。
基礎トレと移動する羊オリジナルメソッド(かなり心と身体を使う)とテキストで作品作り。

興味のある方は是非、愛川のアドレスに「稽古場参加希望」とタイトルに書いてメールください。
アドレス。
loveriver@di.pdx.ne.jp

by moving_sheep | 2009-12-03 15:08 | 稽古場レポート | Trackback
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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び


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