移動する羊 是楽日
2024-03-28T13:46:00+09:00
moving_sheep
移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び
Excite Blog
『Step×Action×Mind』~2024年3月28日(木):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33733032/
2024-03-28T13:46:00+09:00
2024-03-28T13:46:00+09:00
2024-03-28T13:46:00+09:00
moving_sheep
目先そうそう
理解した。
自分の中だけで作品を創っている時間には、他者の情報に対して免疫がなくなるということ。免疫力が低下すると、許容量が少なくなったり、ネガティブが発動したり、何より元気がなくなる。この場合、やはり『引きこもる』ってことも大事だね。
免疫が強くなるのは、おそらく他者と一緒に創るが強い時。
理、利 離。
切り替え思考のスキルが欲しいな、と思いながらの右往左往時間だけれども、この時間もまたヨシとすること。
気楽にスモールステップ、スモールアクション、スモールマインドを。
愛川武博
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『今日まさに、湧水する春の跳ねとなりにけり』~2024年3月27日(水):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33731820/
2024-03-27T12:13:00+09:00
2024-03-27T12:14:22+09:00
2024-03-27T12:13:52+09:00
moving_sheep
目先そうそう
朝がそれほど早い訳ではないけれど、朝早くから頭と体を使っていると、今までとの時間の使い方との相対で、どうにもお昼近い頃には夕方に感じるという。
どれほど今まで寒さの中で、ゆったりゆるゆるのんびりしていた、ことか。
別な言い方をすれば、どれほど使っていなかったのか、という事に気づく。
そして何よりお腹が空く。
今の時点でもう二食、食べている。
大丈夫なの、かしら?とお腹を触るが、同時に姿勢を正して筋肉を意識する。
食べてしまったのはしょうがないし、そもそもきっと必要だったのだ。
と思うようにする。
とりあえずさっき、休憩に入ったので息抜きに体をちょっとでもいいから動かそう。
天気がいい。
春だ。
花見はしよとは思っている。
しかし花見稽古をするかどうかは、迷っている。
したいものです。
春だからね。
動き出す、春。
スプリング!
愛川武博
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『感拠を信じて行けばいい』~2024年3月26日(火):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33730637/
2024-03-26T10:33:00+09:00
2024-03-26T10:34:22+09:00
2024-03-26T10:33:58+09:00
moving_sheep
目先そうそう
『見切り発車をするな』
この言葉を10代終わりから20代の最初の頃によく言われた。
元々僕は見切り発車をするタイプの人間で、とりあえず始めてみるという事をやってしまうタイプなので、何度も自分に言い聴かせた。
見切り発車。
列車が一般的になってから生まれた言語なのだよね。
まだ十分な議論の余地があるのに議論せず、検討せず、計画を実行してしまう、という意であるけれど、今思うのは、見切り発車って大事だなって思う。
思い返すと、ある時期に「見切り発車をしよう」と思い直したことがあったけれど『見切り発車をするな』が身についてしまっている部分も感じていた。
感じている。
悪い方で。
それは歳を取るほどに強くなる。
元気がなくなるのか、先に諦める(ある種の学びである)のか、いつかそのような時期が向こうからやってくるという幻想か。
少なくとも僕には『見切り発車』は必要なことだと考える。
結局、発車している人の方が、手にしているモノは多い。ように感じる。
先ず動くことの大事さを色々なところで目にする。
もちろん個人の感拠(感想と言われようが、これもまたデータであるので、感拠)である。それが失敗であろうが負債であろうが、手にしたら財産だ。
だから移動する羊は「可能な限り先ずはやってみるか」が前提にある。
様々色々、失敗は多いけれど、財産だ。財産にする。無駄にはしない。ように在る。
昨日、台所で洗い物をしている時に、そのことを思い考えたけれど、すっかり忘れていた。
ふと、思い出した。
朝の執筆時間の休憩時間に。
んで、書いた。
そう、今。
時間がかかってしまった。
戻ろう。
執筆に。
いろいろなしごとを、ほうりだして、じかんをつくっているのだから、なんとかがんばろうね、ぼく。
そう唱える。
イイ加減で。
愛川武博
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『始まりを創る』~2024年3月25日(月):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33730020/
2024-03-25T19:32:00+09:00
2024-03-25T19:32:32+09:00
2024-03-25T19:32:32+09:00
moving_sheep
目先そうそう
「そうか僕は、最初を創るのが好きなんだ。」
気づいた13時30分の、ノート。
マンションの外壁塗装が終わり、家に居た植物たちをベランダへ出した。太陽ってすごく大事なのだと実感するのは、植物の葉っぱがかなり落ちたから。春が、きっと力をくれると思う。頑張れ植物たち。
執筆の集中力がふわふわしている。こういう時は、バトンは落とさないようにしながら、色々試して調子を合わせるのだ。ゼロはやめる。踏ん張る。
そういえば、昨日も朝から書いていたのだけれど、イイ感じで書いていると、いつものようにカラスの辰一(たついつ)がやってきて、フェンスにとまった。庭に餌をついばみに来ているとは思っているけど、あるいは本当に僕の書く物語に引き寄せられているのではないかと夢想したのでありました。
うふふふふふふ。
ちなみにほとんど書けていないからか、辰一は、一度もやってくることはなかったのでした。
ふぬぬぬぬぬぬ。
愛川武博
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『GoGoGoGoGo』~2024年3月24日(日):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33728241/
2024-03-24T07:50:00+09:00
2024-03-24T07:50:38+09:00
2024-03-24T07:50:38+09:00
moving_sheep
目先そうそう
今日、洗うつもりのないお風呂マットやトイレマットを洗ってしまった。
ルーティンでは明日、月曜日の朝に洗う予定だったのに。
朝のまどろみの時も思った。月曜日だと。
ああ、日曜日だったかと思って起きだし動いていたけど、いつの間にかまた月曜日に……。
いやいや日曜日ならではの予定があるのよ、今日。
おそらくあれだ。
昨日、ずっと朝からひたすらに執筆していたから、日にちが2日分先に行ってしまったのだ。
経験の感覚が2日分なのだな、と思う7時46分。
今日も、頑張りなさい、と己にエールを。
さあ、行け。
行くのだ。
愛川武博
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『物語をまく』~2024年3月23日(土):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33728221/
2024-03-23T07:43:00+09:00
2024-03-24T07:24:13+09:00
2024-03-24T07:21:49+09:00
moving_sheep
目先そうそう
7時37分。パソコンをカチャカチャとしていたら、辰一(カラス)がやってきた。
相変わらず、マンションの庭と線路沿いの駐輪場を仕切る、金網フェンスに、止まるのが君は大好きだね。
書いているので、すぐ、執筆に戻るけれど、ついついノートしたくなる。
君は僕の物語を、ついばみに来ているのじゃないかい?
愛川武博
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『親父の小言:人には馬鹿にされていろ』~2024年3月22日(金):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33728219/
2024-03-22T22:19:00+09:00
2024-03-24T07:20:26+09:00
2024-03-24T07:20:26+09:00
moving_sheep
目先そうそう
結果、騙される。最初から騙される。本人が騙していることに気がついてなく騙される。ことがとても多い僕は、自分にも問題があるのだろうと、思っている。
騙す方が問題だと思うけど、戦争だとしたら、戦いだとしたら騙すことは正義にもなり得るから、騙す騙されるという視点のみで言えば、騙される方が負ける。
嘘をつく、という言葉でもいい。嘘にされる。嘘をつかれる。本人が嘘をついていることに気がついてなくて嘘をつかれる。
裏切り、という言葉でもいい。裏切られる。裏切る。本人が裏切っていることに気がつかないで裏切られる。
とは言っても、自分にとっては裏切りという言葉を普段ほとんど使わないくらいに、概念が薄い。裏切りってないと思っているのだと思うのかな。人を信用していないという意味ではなく「人は明日には言う事(つまり思い動くこと)が変わる」と理解しているからだと思う。むしろ僕は信じやすい人間だ。変わる。一貫性はない。月が空に昇るくらいに物理。構わない。だからこそ気づきや誠実や本当や向き合いが大事で、何よりそれらを持って伝えることが大事だとは思う。少なくとも共に創るには。
つまり共に創るのをやめるのは簡単だ。
伝えなきゃいい。
もしくは気づきも誠実も本当も向き合いもなく伝えればいい。
ダマシ、ウソ、ウラギリ。
それなりに多いので、やはり自分に問題があるのだろうと前々から思っている。
ダメンズウォーカー的な感じ、というか。
根底に『馬鹿にしている』があるのかなと感じている。
馬鹿にしてしまう、馬鹿にするようになってしまう、でもあるのだろうけど。軽い扱いをしても大丈夫だと思うようになるのだろう、かね。
はてさて。
最近、言葉になった、実感があることを形に。
「品がない人って、何かを馬鹿にしている人なのだね。何より品がないことに気がついていない人なのだ、ね」
愛川武博
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『どうやらぼく、つかれているみたいです』~2024年3月21日(木):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33726162/
2024-03-21T20:24:00+09:00
2024-03-25T08:17:18+09:00
2024-03-22T09:25:08+09:00
moving_sheep
目先そうそう
左ファーストを前よりもっと心がけている最近。
右脚が短いし、右腰も痛いし、右膝もずっと昔からよろしくない。なので、左を全体的に使いながら、特に右膝の負担を減らそうと意識している。
左の存在を強く。
『憑かれる』ということについて考える。
憑かれる、ことはあると思っていて。
前に、普段使わない、小さな舞台がある昔ながらの大広間で稽古をしていた時、その舞台に上がるタイミングで僕は気持ち心持ちが緩かった。
違和感を感じていたし、一緒に稽古していた女性は実は危ういのであまり近づかないようにしていたらしいけれど、僕は何気なく上がってしまった。
そこから調子が悪くなって、帰りの電車の時ふと「何か連れてきた、何かに憑かれたかもしれない」と思った。そのことを女性に言うと「あるかも。私はイヤな感じがしたから近づかなかったけれど」とこの時に言われた。
「私、祓えますよ」と言うのでお願いしたら、そっと肩を撫でた。叩くかと思ったら、優しく祓った瞬間に、僕の調子はスーッと良くなった。しかし癒着したものを剥がした時のような気持ち悪さが残っていた。
くっついていたのだと、思った。
若い頃、年下の知人が視える人で「愛川さんの右側がすごく気になります。黒いです」と言われて合点がいった。僕はケガをするのがほとんど右側だったし、腰も膝も悪いのは右だったから。
憑くモノは、物理的な何かを僕らに行使することは、おそらく出来ない。
でも心理的なアプローチをしてくるのだと思う。
仮に物理的な関与ができたとしても、電気信号(脳)的なアプローチしか出来ない、と思っている。
とはいえ心理は物理になるから、そのままよろしくないことが起こる。
もちろん良いことも起きる。
何に憑かれるのか、だとは思う。
死霊か生霊か思念か感情か思いの残滓か。
世界の誰か、か。過去の自分か。集団の思念か。過去の何者かの残滓か。集まって変容した思想か。
ネガティブかポジティブか。
「あいつポジティブにとり憑かれているぜ」なんて言われてみたい気もする。
自分にとって良いことが起こるモノに憑かれるようにしたいものですな。
同時に、祓った彼女のように、自分である程度何とかなることでもある。
融合しちゃうと剥がすのも剥がしたあとも大変だと体感的にあるから、憑かれない、憑かれたら早いうちに決別する手段を何とか取る。逃げる。戦ってもいいけど、戦い方は知らないとね。
でも感覚的に悪いものは癒着しやすく、良いものは剥がれやすい。
何より良いものでも、ずっと張り付いていると腐敗する場合もある。
だからといってファッションのようにとっかえひっかえもまた、時に弊害もある。
オシャレではあるのだろうけれど。
大事であるとそうじゃない、でも、あるものね。
連想、連考していたら、見えないモノじゃなくても、憑かれるって、世界に具体的に溢れているな~まるで世界の喩えみたいだな~と思うのでした。
己が何に憑かれるのか。
どのように疲れるのか。
有意義なツカレをどちらも選択したいものですね。
愛川武博
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『また新しき文化へ』~2024年3月20日(水祝):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33724902/
2024-03-20T23:25:00+09:00
2024-03-21T10:26:06+09:00
2024-03-21T10:26:06+09:00
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目先そうそう
散歩へと行く。
晴れていた午前中とはうって変わって、雨雲が広がってくる午後。
ぽつぽつと降ってくる瞬間もあったりしたけれど、夕方までは雨は降らず。
遅めのランチを大好きなパン屋さんでして、散歩を続け、ショッピングモールへ行きウィンドウショッピングをしていると、17時頃に雨が降っていることに気がついた。
虹がかかっている。
それも二重の虹。
美しかった。
そうして映画へと向かう。
『君たちはどう生きるか』英語吹替版。
ジブリのDVDだと英語吹替を入れている作品があるらしい(輸出したやつかな……?)けれど、せっかくだから映画館で大きなスクリーンで観ようと思い。
体験。
面白かった。
ニュアンスが違っているのがそれなりにある。文化の違い。言語の違い。日常レベルだと特に。ファンタジー部分は逆にマッチしている、もしくは更に素敵になっているのが興味深い。英語の方がカッコ良かったり、ピンときたりする瞬間がある。あまりに台詞が長いとか早いとかだと、理解が追い付かないけれど、一度観ているし字幕あるしその字幕は日本の声優さんたちの言葉そのままだから、より違いが解りやすい。
楽しい体験でした。
シンプルに思った事は「宮崎駿の世界観を、少なくとも言語や文化という意味で、理解しやすい日本人で良かった」でした。
宮崎駿さんはやはり日本人なのである。
僕は昔から洋画が大好きですが、海外の方が住みやすいかもしれないと思う事も多々ありますが、同時に日本もやはり良いのです。
文化がしっかりと出逢って、多様性を認めながら、敬意と尊重とをお互いが持って、平和に、新しい文化を創ってゆけたならばいいな~と思いました。
散歩からの映画、のあとに、ラーメン屋での打ち上げビール餃子ラーメンは、とても美味しかった。
愛川武博
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『魔の料理屋』~2024年3月19日(火):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33723593/
2024-03-19T23:06:00+09:00
2024-03-20T11:07:14+09:00
2024-03-20T11:07:14+09:00
moving_sheep
目先そうそう
魔が差した。
鶏の肩肉を見つけたのを皮切りに、食材を買い込んで料理大会になってしまった。普通の料理を作るのは普段やっている。しかしちょっと普段とは違うもの、ツマミになるようなものを作りたくなってしまった。その欲望のままに幾つか作った。
茸ニラレバ・焼き鳥・鶏皮ポン酢・自家製梅肉ソースかけ鶏・餃子・油揚げ餃子・ローストビーフ・牛すじ・牛のステーキすきやき風・ハンバーグのつもりが結局煮込みにしたハンバーグ………。
オソロシヤ。
魔の料理や。
夕方についつい食材を見たばかりに、お酒を呑みながら料理してつまんで、弁当にしたりして、結局、明日の分まで作ってしまった。
たまにやってくる〈魔〉が、僕に料理を作らせる。
おそろしや。
愛川武博
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『心理も物理で、世界を動かす』~2024年3月18日(月):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33722402/
2024-03-18T22:48:00+09:00
2024-03-19T08:49:18+09:00
2024-03-19T08:49:18+09:00
moving_sheep
未分類
色々なことをやった一日に感じたけれど、目先メソッドに起因するような『伝えるべきことがあるかないか』ということが、自分にとっては無為な一日であったか有為な一日であったかを決める、大きな差であるのだと理解した。
そう、今日、ぼくは、無為に過ごしたと実感したのだ。
動いた数ではない、形にした数ではない、数分でもいい、ひょっとしたら数秒でも、しっかりと使って生きてその在り様を認知した瞬間があったのならば、有為な一日になったのかもしれない。
実際は、台無しに感じたり(本当は台無しにもならないし無駄にもならないのにそう思ったり感じたり)することがあると、あっという間にすべてが無為な一日に思えてくる。
ネガティブは強いから、怒涛のように侵食してくる。
有為な瞬間は確かにあったのに消えてゆく。
気づいたのだから、もっと開き、もっと使い、もっと世界と共に創ることへ向かわ、なければならない。
前に言われた。「~しなければならないって言うのはやめて」と。ぼくは返す。「誰かに云っているのではない、自分に云っている」。だれかにそのような言葉はよっぽどのことがない限り日常生活では使わないようにしている。記憶している限りだとない。脚本には書いた。「君は物語を書かなければならないよ」と。でも誰かには言わない。自分には云う。しかし「私の前ではその言葉を使うのをやめて」と言われたので、更に気を使うようにはなった。あるいはそれに準ずる言動があるかもしれないから。
確かに、誰かを変えることを出来ないのは、人生の長い時間を過ごした人々と自分に教わってきた。でもぼくはかえたい。
はたして自分にも云うべき言葉かどうかは分からなくても、これだけは解る。
「物理を無視してはいけない」
心理も物理で、世界を動かす。
だって世界の一部である己を動かすコトワリだから。
己が変われば世界が変わる。
無為に生きたと思っていたぼくの、有為に変えた気づきを記す。伝える。
愛川武博
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『使って使って動いて眠る、そんな羊を目指すのだ』~2024年3月17日(日):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33721343/
2024-03-17T23:15:00+09:00
2024-03-18T09:16:33+09:00
2024-03-18T09:16:33+09:00
moving_sheep
目先そうそう
最高の睡眠って、眠くて眠くてもう起きていられない状態になってからの眠りだよな~と思っている。
視点を変えて言えば、一日、一生懸命に何かをやって眠る睡眠だと、最高に素敵な睡眠になるのではないのか。
遅く起きて、早く眠ると寝つけるまでに時間がかかるように、起きる時間が早くてずっと一生懸命にやって(それが遊びだとしても)、夜の早い段階で眠くなってちょっと明日のことをすませて心置きなく早めに眠る、時間も取る、これが大事だなと思った。
お昼も仮眠程度ならいいよね。
僕は仮眠が必要なタイプだとは思うけど、時には一気に一日を頑張る(心身を使う)方が効率の良い場合もある。
思い出す。
鹿児島で2週間稽古して舞台公演をした日々。
車の運転をしながら役者たちを送り迎えして脚本を書き演出をして役者として舞台に立った時の、健康的に痩せ、快適な睡眠と、充実な日々は素敵であった。
様々色々を使い動き、三食を食べ、しっかり眠る。
大事なこと。
すごく生きている在り方だったのだなと、僕は映画二本を半分眠りながら観ながら、思いました。
そして夜、僕はええ、眠気が無いので困っています。
とほほ。
使って使って動いて眠る、そんな羊を目指すのだ。
愛川武博
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『姿勢と環境のアプローチチェンジ』~2024年3月16日(土):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33720189/
2024-03-16T23:30:00+09:00
2024-03-17T09:31:07+09:00
2024-03-17T09:31:07+09:00
moving_sheep
目先そうそう
サブスクリプションで映画を三本観た。
今日、明日は潔く、純粋なる自分の時間を満喫するのだと決めたから。メリハリかな、と。集中力の無い中、物事がほとんど形にならない時間を過ごすよりは、ちょっと環境やアプローチを変えてみようと思った。
睡眠時間も増やそうと思う。
他のやるべきことや、やりたいことの比率も変える。
「時間をかけないで効率よく」という考え方を変える。
時間をかける。そもそも時間がかかるのだ。むしろゆっくりと向き合うほうが、結果効率が良いような気がしている。
日数をかける。
しっかり一日の中で向き合う数時間を、いやもっと短くてもいいから、その時間だけは有効に集中して使うことに集中する。その時間だけ手にしたら、あとはオマケと考える。遊びだ。いや仕事だけど。とりあえず遊びだと、思うことにする。気楽に。
建設現場を見ているのが好きな僕は、前々から思っている。職人たちは基本的に急いでいない。事故を起こすからというのもあるのだろうし、工期も雨や雪なども含めてゆっくりに設定するから。知人から話しを聞いてもノンビリだなと実感する。
少なくとも相対的にはそうだ。舞台の装置を造る時とか、けっこう集中して一気に造ることになる。場所の確保とか色々(人的なこと演出的な事などなど)で、劇場に入ってからの仕込みにしてもその前の準備にしても急いで造ることが多い。
建設現場だって実際、急いでやれるようなことは急いでやっていたりする。
前々から思っていたことだけれど、やはり「同じように在らなきゃならない」と本当に思っている。
何度も思い、なかなか上手いこと実行できなかったけれど、これからは時間をかけようと思っている。
あるノーベル賞を受賞した科学者が「八割九割はボーっとしている。その時間が大事だ」と言っていたことも、また、思い出し、時間をかけるための姿勢と環境を整えようと思った。
プライベートはすごく大事だと思っている。
たとえば学校とかはむしろ、子ども達だけじゃなく子どもたちの人格形成に携わるような『先生』は特に、プライベートをととても大事にするべきだと思っている。聖職者としてサービス残業を強いられている現状(小中高と先生の知人が多いので実感している僕)は「それはどうだろう?」と強く思っている。少なくとももっと軽減させる方法を取るべきだと。質の高い教育を得るためにはむしろ、必要なことだと考える。
人が人を育てるのだから。
とはいえ仕事と趣味と欲望が一致している人もいるのだから、その限りではないけれど。
努力の方向が大事。
という訳で、頑張っているけれど、結果的には頑張れてないような姿勢と環境を変えてみようと思っている。
イイ加減を探しながら。
今度こそ、今までよりは長い時間、目指す姿勢と環境を保てるように。
楽を大事に。
愛川武博
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『散、散、散~着地なんか必要ないのだ』~2024年3月15日(金):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33718692/
2024-03-15T19:47:00+09:00
2024-03-15T19:47:02+09:00
2024-03-15T19:47:02+09:00
moving_sheep
目先そうそう
今日は『ノート』を幾つか記した。
しかしどうにも誰かに見せられるような内容ではない気がして、そのままお蔵入りになっている。削除してしまったものも結構ある。
ガラケー、スマホ、紙、パソコン、書き留めておくために全部使う。口頭での文字変換は、なかなか使えていない。どれもこれも、いとも簡単に消える。手書きもファイルしてあるけれど、時と場合によってはすぐに捨ててしまう。
デリートすることを簡単にやってしまうクセがついているような気がするけれど、元来、色々、捨てられないタイプ。
はたと。
ここまで書いて「なんてまとまりのない、何を伝えたいのか分からない、書いている今すらもあやふやな文章だ」と感じて削除しようと思ったけれど、今日はあまりにも形にしたものを無かったことにしているので、とりあえず、記したココまでは残しておこう。
ああ、集中力がない。
とにかく、集中力がない。
花粉のせいにしたいくらいに集中力がない。
ついつい集中力の持続の仕方をネット検索するくらいに集中力がない。
さて二行空けて、書いている訳ですが、この空白は〈数行書いては消す〉を4回繰り返したことを表しています。トータルそれなりの量を結果、書いているという。でも消した。着地点が見つからないという。
書いては消し、書いては消しが加速しているこの感覚は、ダムでせき止めた水が溢れているのに、排出しなければならないのに、排出口が小さく細くかつ砂利が詰まっている中、水圧で押し出され少し流れてはまた砂利が詰まってしまう、のに似ている。似ていると言っても想像だから、そんなことが起こるのかどうかは知らないのですが。
奇妙な感覚ではある。
新鮮さもある。
ただ、扱い方が分からない。
さて一行空けてあるのはどっちも2回書いて消したからです。2回に留めてやったぜ。してやったぜ。足掻いているぜ。もうここでいいんじゃない?頑張ったんじゃない?内臓も気持ち悪いし、きっと体調も良くないのだ。あとは任せるのだ、明日の自分へ。
着地点が見つからない。
肯
ヨシ
愛川武博
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『ドウライヴ・ドウライフ』~2024年3月14日(木):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33717752/
2024-03-14T22:30:00+09:00
2024-03-15T08:31:41+09:00
2024-03-15T08:31:41+09:00
moving_sheep
目先そうそう
ドライブを久しぶりにした。
もちろん普段から車で買い物へ行ったり、映画を観に行ったりはする。
今回だってやっと車庫証明(引っ越しをしてからだいぶたってたので……)の申請をしに行くことが目的なので、正確にはドライブではないのだけれど、ドライブであったな、と。
息抜きにドライブでも行くか、があり、そのついでに車庫証明の申請もした、という感覚が強い、かな。
実際は「ああ、行かなきゃなんだけど……」からの腰上げだった。
「ドライブついでに、くらいの感覚で行こう」と思考を変えた。
ドライブはただ走るだけのこと。
目的地やルートは決めず(ある程度は決めるけれど)、行く。走る。走らせる。
散歩や登山に似ている。
旅・旅行も自分にとっては同じカテゴリーに入るかも。
決定事項(場所・ルート・日時・日程…)の幅はあるけれど、そのどれもが世界を移動する気持ちがある。日常と非日常を生き、その狭間を行く心持ちがある。世界と共に創る在り方がある。
大事だったのだなと思った。
この感覚が、連動を生む。次の動を創る。面白い。自分の動に影響される。自見自創というより、自動連動。軽い気持ちでいい。スモールマインドでいい。スモールアクションをバトンする。
動の生き行き。
連動の生きる。
どうらいぶ。
どうらいふ。
愛川武博
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