『心理も物理で、世界を動かす』~2024年3月18日(月):目先想創


色々なことをやった一日に感じたけれど、目先メソッドに起因するような『伝えるべきことがあるかないか』ということが、自分にとっては無為な一日であったか有為な一日であったかを決める、大きな差であるのだと理解した。
そう、今日、ぼくは、無為に過ごしたと実感したのだ。
動いた数ではない、形にした数ではない、数分でもいい、ひょっとしたら数秒でも、しっかりと使って生きてその在り様を認知した瞬間があったのならば、有為な一日になったのかもしれない。
実際は、台無しに感じたり(本当は台無しにもならないし無駄にもならないのにそう思ったり感じたり)することがあると、あっという間にすべてが無為な一日に思えてくる。
ネガティブは強いから、怒涛のように侵食してくる。
有為な瞬間は確かにあったのに消えてゆく。
気づいたのだから、もっと開き、もっと使い、もっと世界と共に創ることへ向かわ、なければならない。
前に言われた。「~しなければならないって言うのはやめて」と。ぼくは返す。「誰かに云っているのではない、自分に云っている」。だれかにそのような言葉はよっぽどのことがない限り日常生活では使わないようにしている。記憶している限りだとない。脚本には書いた。「君は物語を書かなければならないよ」と。でも誰かには言わない。自分には云う。しかし「私の前ではその言葉を使うのをやめて」と言われたので、更に気を使うようにはなった。あるいはそれに準ずる言動があるかもしれないから。
確かに、誰かを変えることを出来ないのは、人生の長い時間を過ごした人々と自分に教わってきた。でもぼくはかえたい。
はたして自分にも云うべき言葉かどうかは分からなくても、これだけは解る。
「物理を無視してはいけない」
心理も物理で、世界を動かす。
だって世界の一部である己を動かすコトワリだから。
己が変われば世界が変わる。
無為に生きたと思っていたぼくの、有為に変えた気づきを記す。伝える。


愛川武博



# by moving_sheep | 2024-03-18 22:48 | Trackback

『使って使って動いて眠る、そんな羊を目指すのだ』~2024年3月17日(日):目先想創


最高の睡眠って、眠くて眠くてもう起きていられない状態になってからの眠りだよな~と思っている。
視点を変えて言えば、一日、一生懸命に何かをやって眠る睡眠だと、最高に素敵な睡眠になるのではないのか。
遅く起きて、早く眠ると寝つけるまでに時間がかかるように、起きる時間が早くてずっと一生懸命にやって(それが遊びだとしても)、夜の早い段階で眠くなってちょっと明日のことをすませて心置きなく早めに眠る、時間も取る、これが大事だなと思った。
お昼も仮眠程度ならいいよね。
僕は仮眠が必要なタイプだとは思うけど、時には一気に一日を頑張る(心身を使う)方が効率の良い場合もある。
思い出す。
鹿児島で2週間稽古して舞台公演をした日々。
車の運転をしながら役者たちを送り迎えして脚本を書き演出をして役者として舞台に立った時の、健康的に痩せ、快適な睡眠と、充実な日々は素敵であった。
様々色々を使い動き、三食を食べ、しっかり眠る。
大事なこと。
すごく生きている在り方だったのだなと、僕は映画二本を半分眠りながら観ながら、思いました。
そして夜、僕はええ、眠気が無いので困っています。
とほほ。

使って使って動いて眠る、そんな羊を目指すのだ。


愛川武博



# by moving_sheep | 2024-03-17 23:15 | 目先そうそう | Trackback

『姿勢と環境のアプローチチェンジ』~2024年3月16日(土):目先想創


サブスクリプションで映画を三本観た。
今日、明日は潔く、純粋なる自分の時間を満喫するのだと決めたから。メリハリかな、と。集中力の無い中、物事がほとんど形にならない時間を過ごすよりは、ちょっと環境やアプローチを変えてみようと思った。
睡眠時間も増やそうと思う。
他のやるべきことや、やりたいことの比率も変える。
「時間をかけないで効率よく」という考え方を変える。
時間をかける。そもそも時間がかかるのだ。むしろゆっくりと向き合うほうが、結果効率が良いような気がしている。
日数をかける。
しっかり一日の中で向き合う数時間を、いやもっと短くてもいいから、その時間だけは有効に集中して使うことに集中する。その時間だけ手にしたら、あとはオマケと考える。遊びだ。いや仕事だけど。とりあえず遊びだと、思うことにする。気楽に。

建設現場を見ているのが好きな僕は、前々から思っている。職人たちは基本的に急いでいない。事故を起こすからというのもあるのだろうし、工期も雨や雪なども含めてゆっくりに設定するから。知人から話しを聞いてもノンビリだなと実感する。
少なくとも相対的にはそうだ。舞台の装置を造る時とか、けっこう集中して一気に造ることになる。場所の確保とか色々(人的なこと演出的な事などなど)で、劇場に入ってからの仕込みにしてもその前の準備にしても急いで造ることが多い。
建設現場だって実際、急いでやれるようなことは急いでやっていたりする。
前々から思っていたことだけれど、やはり「同じように在らなきゃならない」と本当に思っている。
何度も思い、なかなか上手いこと実行できなかったけれど、これからは時間をかけようと思っている。
あるノーベル賞を受賞した科学者が「八割九割はボーっとしている。その時間が大事だ」と言っていたことも、また、思い出し、時間をかけるための姿勢と環境を整えようと思った。

プライベートはすごく大事だと思っている。
たとえば学校とかはむしろ、子ども達だけじゃなく子どもたちの人格形成に携わるような『先生』は特に、プライベートをととても大事にするべきだと思っている。聖職者としてサービス残業を強いられている現状(小中高と先生の知人が多いので実感している僕)は「それはどうだろう?」と強く思っている。少なくとももっと軽減させる方法を取るべきだと。質の高い教育を得るためにはむしろ、必要なことだと考える。
人が人を育てるのだから。
とはいえ仕事と趣味と欲望が一致している人もいるのだから、その限りではないけれど。

努力の方向が大事。
という訳で、頑張っているけれど、結果的には頑張れてないような姿勢と環境を変えてみようと思っている。
イイ加減を探しながら。
今度こそ、今までよりは長い時間、目指す姿勢と環境を保てるように。
楽を大事に。


愛川武博



# by moving_sheep | 2024-03-16 23:30 | 目先そうそう | Trackback

『散、散、散~着地なんか必要ないのだ』~2024年3月15日(金):目先想創


今日は『ノート』を幾つか記した。
しかしどうにも誰かに見せられるような内容ではない気がして、そのままお蔵入りになっている。削除してしまったものも結構ある。
ガラケー、スマホ、紙、パソコン、書き留めておくために全部使う。口頭での文字変換は、なかなか使えていない。どれもこれも、いとも簡単に消える。手書きもファイルしてあるけれど、時と場合によってはすぐに捨ててしまう。
デリートすることを簡単にやってしまうクセがついているような気がするけれど、元来、色々、捨てられないタイプ。
はたと。
ここまで書いて「なんてまとまりのない、何を伝えたいのか分からない、書いている今すらもあやふやな文章だ」と感じて削除しようと思ったけれど、今日はあまりにも形にしたものを無かったことにしているので、とりあえず、記したココまでは残しておこう。
ああ、集中力がない。
とにかく、集中力がない。
花粉のせいにしたいくらいに集中力がない。
ついつい集中力の持続の仕方をネット検索するくらいに集中力がない。


さて二行空けて、書いている訳ですが、この空白は〈数行書いては消す〉を4回繰り返したことを表しています。トータルそれなりの量を結果、書いているという。でも消した。着地点が見つからないという。
書いては消し、書いては消しが加速しているこの感覚は、ダムでせき止めた水が溢れているのに、排出しなければならないのに、排出口が小さく細くかつ砂利が詰まっている中、水圧で押し出され少し流れてはまた砂利が詰まってしまう、のに似ている。似ていると言っても想像だから、そんなことが起こるのかどうかは知らないのですが。

奇妙な感覚ではある。
新鮮さもある。
ただ、扱い方が分からない。

さて一行空けてあるのはどっちも2回書いて消したからです。2回に留めてやったぜ。してやったぜ。足掻いているぜ。もうここでいいんじゃない?頑張ったんじゃない?内臓も気持ち悪いし、きっと体調も良くないのだ。あとは任せるのだ、明日の自分へ。

着地点が見つからない。


ヨシ


愛川武博



# by moving_sheep | 2024-03-15 19:47 | 目先そうそう | Trackback

『ドウライヴ・ドウライフ』~2024年3月14日(木):目先想創


ドライブを久しぶりにした。
もちろん普段から車で買い物へ行ったり、映画を観に行ったりはする。
今回だってやっと車庫証明(引っ越しをしてからだいぶたってたので……)の申請をしに行くことが目的なので、正確にはドライブではないのだけれど、ドライブであったな、と。
息抜きにドライブでも行くか、があり、そのついでに車庫証明の申請もした、という感覚が強い、かな。
実際は「ああ、行かなきゃなんだけど……」からの腰上げだった。
「ドライブついでに、くらいの感覚で行こう」と思考を変えた。
ドライブはただ走るだけのこと。
目的地やルートは決めず(ある程度は決めるけれど)、行く。走る。走らせる。
散歩や登山に似ている。
旅・旅行も自分にとっては同じカテゴリーに入るかも。
決定事項(場所・ルート・日時・日程…)の幅はあるけれど、そのどれもが世界を移動する気持ちがある。日常と非日常を生き、その狭間を行く心持ちがある。世界と共に創る在り方がある。
大事だったのだなと思った。
この感覚が、連動を生む。次の動を創る。面白い。自分の動に影響される。自見自創というより、自動連動。軽い気持ちでいい。スモールマインドでいい。スモールアクションをバトンする。
動の生き行き。
連動の生きる。
どうらいぶ。
どうらいふ。


愛川武博



# by moving_sheep | 2024-03-14 22:30 | 目先そうそう | Trackback
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